1933年10月、佐位郡上淵名村(現在の伊勢崎市境上淵名)に農家の長男として生まれる。

-多種多様な活動をされているとお聞きしましたが、元々は農家のご出身なのですね。
「そうです。ただ戦後になると農業だけでは食べて行けないということで、周囲にもよそへ働きに出る人が多かったですね。私も30歳の時に会社勤めを始めました。今の赤城乳業(株)の営業所が伊勢崎にあったんですね。当時、この辺りでは『はまのや』で親しまれていて、そこで営業の仕事をしていました」

-順にうかがいたいと思います。消防団でも活動されていたんですね。
「はい。22歳で地元の消防団に入りました。ラッパ長に任命されて、その時に消防団で音楽隊を立ち上げたんです。隊員は16名。昭和40年のことです。リーダーを11年務め、音楽隊は20年続きました。」

-消防団で音楽隊ですか?
「そうなんです。全国でも消防団で音楽隊というのは珍しかったですね。立ち上げたはいいが、続かずにすぐに解散になってしまうんですよ。だから20年も続けられたというのは全国でも私のところだけでしょう。その分、前例に乏しかったので苦労しましたが、理解していただけて活動の予算も付けてもらえたのでそこは恵まれていました。50歳で私が消防団を辞めるとき、残念ながら音楽隊も解散になってしまいました」

-ということは楽器演奏もお得意だったのですね。
「はい。15歳からクラリネットをやってます。管楽器を中心に今は15種類くらいやりますかね」

消防団の音楽隊設立で叙勲

-15種類ですか!クラリネットはどなたか先生に指導を受けられたのですか?
「全て自己流です。その当時は先生なんかいません。クラリネットやろうなんて人は町内に誰もいませんでしたから。でもそれが後々活かされて良かったです」

-すごいですね!サラリーマンとして営業の第一線で働きながら消防団で活動され、音楽隊の隊長までされてたわけですね。
「そうなりますね。平成三年に『勲七等青色桐葉章』の叙勲を受けたのですが、それは消防団時代の音楽隊活動が認められたんです。それと当時は防火用水が不足していて、何か良い方法はないかということになった。そこで使わなくなったサイロを活用して水を貯めておくことになったのですが、それを提案したのが私なんです。そんなことも評価していただいたんだと思います」

-アイデアマンでもおありだったのですね。皇居で勲章を受けるときは緊張されましたか?
「それより、若い頃に『農作業技術交換大会』で表彰を受けてるんですが、表彰式の時、皇太子妃になられたばかりの美智子様がいらして、私に声をかけてくださったんです。大勢の中で私にだけですよ(笑)。「ご苦労様です」とね。同郷の群馬から来たということで気に留めてくださったんでしょう。その時は緊張しました。とにかく上品で美しい方だったという印象でしたねえ」

北海道でアイスの営業。2年で5億の売上げ達成!

-いろんな体験をされてますねえ。会社員としてのお仕事の方で何か印象に残っていることはありますか?
「そうですねえ。50歳くらいの時ですか、会社が北海道に支店を出すことになって『お前、責任者として行ってくれ』と言われたんです。売上5億になるまで帰ってくるなってね(笑)。それでさっそく行って札幌市内をグルグル回ってみたら、アイスクリームはどこに行っても雪印の製品しか置いてない。逆に『これはイケる』と思いましたね。人は違う味もたまには食べたくなるもんでしょう。それで北海道大学に行って優秀な学生10人を引っ張って来て入社させました。アイスの『いろは』から教えて、一番年長者を支店長にしたんです。私は札幌ではホテル住まい。毎週日曜の晩に札幌へ行き、土曜日に群馬に帰ってくる、そんな生活が2年続きました。でもその2年で売上5億突破しましたよ」

【長年連れ添われた奥様もまだまだお元気!】

-それもすごいお話ですね。うかがっていると行動力がとても真似できないほど凄いです。長年営業のお仕事をされて、それでゴルフがお上手になったんですね。『エージシュート』(※年齢より少ないスコア)の数が凄まじいですね!
「これは私の自慢ですね。これだけ出しているのはプロでもいないらしいです」

-すごいことばかりで、圧倒されます。80歳を過ぎた今でもお仕事をもって働いておられるんですよね。
「60歳で会社を定年退職した翌日から造園業を始めました。若い頃から従兄の家に行っては庭の手入れをしてましたから、それを活かそうと思ったんですね。他に定年後は伊勢崎市文化協会の役員も務めていました」

人生を変えた最大の危機

-お見受けしたところ、その年齢にはとても見えないほどお元気そうです。
「体だけは丈夫ですね。造園業は高い木の上にも登ることもありますが、4メートルくらいの高さなら今でも飛び降りられますね」

-いやあ、すごい!恐れ入りました!
「でもねえ、私は一度死にかけてるんですよ。怖がる人がいるので、あまり言わないようにしていますが……」

-とういのは?
「会社員時代、アイスを保存する5千トンの冷凍庫に閉じ込められて……。あの時は『もうダメだ』と思いました。でも奇跡に奇跡が重なって何とか脱出できたんです。あと数秒遅れたらどうなっていたか分からなかったと。生還できたのは数百万分の一の確率だと言われましたよ。今は元気でいられますが、その後の人生はとにかく『やれることは精一杯やろう』という思いで生きていますね」

-そうでしたか。今は造園業と『早川歌謡BAND』の活動が中心なのですね。
「そうです。早川BANDではリーダーでテナーサックスを担当しています。メンバーは現在20名で特養ホームや日帰り温泉、他には幼稚園や保育園でも時々演奏させていただいてます。みなさんが知ってる曲をやりますから楽しんでもらえてると思いますね」

-いつまでもご活躍されることをお祈りしています!


■ 早川歌謡BAND 事務所
伊勢崎市境上渕名1155 090-3685-8175 長沼久蔵