1967年2月、前橋市(株)丸大オヲツヤ商店の長男として生まれる。

-嘉永三年から続く会社の七代目社長になることは、生まれた時から決まっていたということですね。
「それがそうでもなかったんです。先代である親父は後を継ぐのが嫌で仕方なかったらしく『お前は好きなことやっていい』と言われました。どうせ商売を継ぐのだからと、父は大学にも行かせてもらえなかった。『だからお前は行っとけ』と」

-どんなお子さんでしたか?
「落ち着きがない子供と言われてましたね。自分では全くそう思っていませんが(笑)。中学時代からバドミントンを始めたのですが、県内ではまだ盛んでなかったこともあり群馬県のチャンピオンになりました。高校でもバドミントンを続けてそのまま指定校枠で東京の大学へ進学しました」

-念願かないましたね。自由にやれとお父様に言われて、就職はどうされたのですか?
「大学を卒業後、自動車ディーラーに就職。営業の仕事が向いていたのか営業成績は全国トップ10に入るほどでした。でも3年ほど勤めて辞めました」

サラリーマンには向いてなかった

-敏腕営業マンだったのに、なぜですか?
「自分はサラリーマンに向いてないと思ったんですね。独立志向は以前から高かったのですが、でも実家の商売は継ぎたくない。そこで知人がやっていた弁当屋で専務として働くことになりました」

-経営する側になったわけですね。
「最初は辛かったです(笑)。仕事そのものより周囲の視線ですね。どこの誰かも分からない若造がベテラン従業員の上司になるわけですから、それはもう大変でした。専務の肩書きはありましたが調理から配達まで自分からやらせて欲しいとお願いしました。早くひと通りの仕事を覚えて、みんなに認められたかったんです。仕事が深夜12時から始まるので、そのカギ開けを申し出たり少しでも周囲と溶け込もうと必死でしたね。それで少しずつコミュニケーションが取れるようになって、仕事の後カラオケなんかに誘ってもらえるようになったんです」

「ひらめき」がバカ売れを呼んだ!

-努力が実を結びましたね。
「実は、そのカラオケで気付いたことがあったんです」

-と言うのは?
「カラオケには弁当の残り物や廃棄する食材なんかを持って行って、おつまみにするわけです。それでも何万食も作った後の残りですから食べきれないほどある。刻んだ野菜なんか大量にあって『これはもったいないなあ』と。せっかく刻んだのだから、これを何とかできないかとその時思ったんですね」

-なるほど。
「スーパーで販売しましょうと社長に提案しました。『袋詰めする機械だけ導入してもらえませんか』と。そしたら『やってみれば』と言ってもらえたんです。スーパー側にはもう了解もらってましたから」

-今はスーパーに行くと『刻み野菜』は普通に置いてありますが……
「その頃は無かったです。もう、バカ売れしましたね。今まで捨てていたものをお金にすることができたんですから社長も大喜びでね。そこで、その利益を特別ボーナスとして従業員に還元したんです。いやあ、みんな喜んでくれましたよ」

-まさに知恵と工夫が認められて、仕事も楽しくなられたでしょうね。ますますオヲツヤさんを継がれる思いは遠のいたと。
「実は同時に中国の絵を販売する仕事もしていたんです。弁当屋の仕事は深夜に始まり午後の3時頃には終わってしまいますから、その後の時間を使って。まだバブルの終わり頃で儲かりましたよ。この頃が一番稼いだんじゃないかな(笑)。でもバブルが終わったことや母に頼まれたこともあり、結局28歳でオヲツヤに入りました」

販売初日で2億!

-(株)丸大オヲツヤ商店さんと言えば、こんにゃく。食品といってもこれまでとジャンルの違うお仕事ですよね。
「はい。最初は『つまらない』と思いましたよ(笑)。こんにゃくって一年中スーパーに並んでいますが、こんにゃく芋の収穫が秋で、需要は圧倒的に冬。つまり煮物・鍋物用なんです。じゃあ、夏場はどうするか。先代の父はラムネ販売をしてました。ガラス瓶にビー玉の入ったアレです。でも効率を考え私の代で止めました。こんにゃくの専門性をアピールして一年間コンスタントに販売できないかということに焦点を絞りました」

-こんにゃくの専門性ですか。
「ちょうどダイエット食品としてこんにゃくにスポットが当たり出したんです。カロリーはほぼゼロで食物繊維が豊富ですからね。そこでコラーゲン等を一緒に練りこんだ『こんにゃくラーメン』を作ってテレビショッピングで販売しました。17年前のことですが、これが爆発的にヒットしまして、販売初日だけで2億円を売り上げました」

-初日だけで2億ですか!今はどうなのですか?
「それが、東北の震災があって……販売は中止しました。食料に困っている人がいるのにダイエットは無いだろうと、テレビ局が手を引いてしまったんです。しばらく辛抱しようかと考えましたが、在庫も抱えられないので。」

-そうでしたか。残念でしたね。その後は?
「お客様のイメージとして、こんにゃくはどれも同じようなものじゃないかと思うんです。スーパーでも品質より価格の安いものから売れていきます。群馬は全国のこんにゃく生産量の8割を占めていますが、ブランド化さえされてない。ですからこんにゃくでは勝負できません。そこで寒天を使った『みつ豆』や『ところてん』を始めました」

-なるほど。そこで『Cafeことほぎ』に繋がるわけですね。
「ただし簡単にはいきません。ご存じのように寒天の原料は『天草』です。こんにゃくの原料とは山と海で全く別物ですし、良い原料の寒天を提供しようにも保存がせいぜい2~3か月しか効かないんです。長期間保存させるためには結局いろんな添加物を混ぜるしかない。そうすれば当然、味も品質も落ちます。そこは悩みましたし、今でも課題ですね」

湧き上がるアイディアで群馬を大切に

-今後の目標はありますか?
「日本の伝統食品である寒天や和甘味等を、添加物を一切使わずに原材料本来の美味しさのまま提供することです。『Cafeことほぎ』では今『赤城の御神水』を使ったかき氷やフルーツと黒豆、寒天だけを使ったみつ豆をお出しして好評をいただいてます。手応えは感じていますね」

-『Cafeことほぎ』さんの店内やメニューを拝見するとアイディアに溢れている印象を受けます。日本的であり群馬的ですね。
「会社を継いだ頃は、全国へ飛び出すことばかり考えていました。でもやはり故郷は前橋です。群馬で成長させていただいた会社ですから群馬を大切にしなくてはと反省しています。そのお詫びというわけではありませんが、実は毎月一回、前橋駅の清掃をさせていただいてます。これからは群馬の名物、群馬の土産なら『ことほぎ』がある、と言われるようになりたいですね」

-同じ群馬県民として楽しみです。ありがとうございました!


■ Cafeことほぎ
前橋市朝日町3-28-19 Webサイト