1965年7月、東京練馬区に生まれる。
「全然です!子供の頃から割と活発で10代の頃はスポーツ少女でした。身長が高い方でしたから中学からバレーボールを始めて、ちょうど赤城国体が目前に控えていたので高校もバレーボールの強化指定校に入りました。でも練習が厳しくて、結局2年生の時に辞めてしまったんです」
「それでバレーは諦め、ピアノが好きだったので東京の音大を目指したのですが、受験に失敗してしまいました」
「とにかく家を出て、東京に行きたいという思いが強かったんです。それで母の勧めもあり東京のインテリアデザインの専門学校に入って、そこの寮で一人暮らしを始めることにしました」
「高校の卒業式が終わって入学までの間、前橋の洋菓子店でアルバイトをしていたんです。そうしたら思わぬことが」
思わぬ出会いの連続
「たまたまお店のお客様にモデル事務所の方がいらして、スカウトされたんです。モデルに」
「それでその事務所と契約して、専門学校に通いながらモデルもやることになりました。当時有名なファッション誌にも出てたんですよ」
「はい。専門学校卒業後ですが、モデルとして出演したショーでジュエリーデザイナーの菊池由美子先生と出会ったんです。それでジュエリーデザインの世界に興味を持ち、モデルを辞めて菊池先生に師事することにしました。菊池先生のお世話係をしながら色々なことを学ばせていただきましたね」
「2年ほど師事して、その後㈱イトキンという会社に入り『クレージュ』や『ELLE』のジュエリーとアクセサリーのデザインをしていました。日本人の好みに合うデザインを考える仕事で、忙しかったですがやりがいはありましたね。当時はインターネットもなくて、よくパリコレのスライドを見て勉強しました」
「次第にですが外国の物を取り入れなくても日本にも良いものがあるのではないかと思い始めたんです。仕事が本当に忙しくて厳しかったこともあり、会社を辞めてフリーランスのデザイナーを目指すことにしました。自分の好きなように日本発のデザインしてみたいと思ったんです」
「そんな時に鎌倉まで行く機会があり、たまたまお線香屋さんに立ち寄ったんです。そうしたら……」
「デザイナーでしたからどうしても外見が気になってしまうんですよね。良い香りはするのですが、その香りとパッケージデザインがマッチしていないことに気づいたんです。これではパッケージのイメージで買われたお客様ががっかりしてしまわれるのではないかと。それで自分なりに、この香りにはこんなパッケージデザインが合うんじゃないかと勝手に考え始めて、それなら自分でお線香の仕事をやってみようと思ったんですね。日本的だしお線香というよりお香としてなら外国の方にも受け入れられるんじゃないかと、その時は確信みたいなものがありました」
ゼロから『線香』開発
「もう、大変!(笑)お線香について徹底的に勉強して自分独自の香りを作った、そこまではいいのですが、それを工場で作ってもらわなければ当然商品にならないわけですよ。お線香の工場なんてどこにあるのか全く知らないしツテもありませんから本当に困りました」
「本屋さんに行くと『お香入門』みたいな本があるでしょう?その本の巻末に協力会社としてお線香の製造工場がたくさん出てるんですよ。それを見て片っ端から電話しました」
「お線香業界は圧倒的に関西、特に京都が中心なんです。そして工場の多くは淡路島。伝統で成り立っていますから、関東のどこの誰かも分からない女がいきなり電話しても取り合ってもらえません。その中で一軒だけ『作ってもいいよ』と言ってくださった工場があって」
「作って欲しいお線香について詳しく丁寧に説明したつもりだったのですが、出来上がってきたものはこちらの希望とは全く違うものでした。ガッカリでしたね。それでもめげずに再度お願いして、ようやく希望通りのお線香が出来上がったんです」
海外で認められる
「そこからはとにかく、悠々庵のお線香を知ってもらうことに全力をつぎ込みました。日本だけでなく外国の方にも知って欲しい。ですから外国人が集まる『東京ギフトショー』やロサンゼルスのギフトショーにも積極的に出品しましたし、イギリスにある著名人御用達のインテリアチェーン店『マーク&スペンサー』にもお香セットを企画・納品しました。少しずつですが外国の方にも受け入れてもらえるようになったと実感しています。今はネット販売の他に全国のデパートや仏具店、雑貨店等に商品を置いていただけるようになりました」
「とんでもない!一度、悠々庵の商品名を問屋さんに勝手に商標登録されたことがあったんです。自信作で愛着もあった。これからもっと売れるぞと思っていた商品だったし、信用していた問屋さんだったので、それはショックでした」
「弁理士の先生に相談して、女性である私が直接その問屋さんの社長に話をした方がいいだろうということになって。でも何をどう話していいのか分からないんですよ。目的は『登録の更新はしません』という書類に社長の印鑑をもらうこと。だからこう言いました。『社長、私が好きなら結婚するつもりでハンコ押して!私が嫌いなら離婚するつもりでハンコ押して!』って(爆笑)。もう必死でしたよ。あんな思いは二度としたくないですね」
「トライアスロン!すっかりハマってます。50歳になって何か新しいことにチャレンジしようと自転車を始めたのですが、その時の仲間に勧められて今はトライアスロンです。年に数回、県外の大会にも出場しています」
「パッと一目で『日本のもの』と分かる商品を作りたいんです。アジアではなく日本。それを海外で売り出したいですね。言葉も文化も違う国のみなさんに受け入れていただけるものにこだわって行きたいです」
■ 有限会社 悠々庵
前橋市富士見町小暮2350-1 Webサイト